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カタログハウス掲載への経緯について

小川タカコ被災地支援活動がとりあげられました。

この度、螢タログハウスの2000年秋冬号に、当店のゆったりショールが掲載された経緯について、螢タログハウスの商品開発部からオファーがったのは、5月の中旬過ぎでした。

当店の宮城に構えていた自宅兼工房では、3.11の東日本大震災において、津波が過ぐ眼の前の田んぼまで迫る勢いでしたが、ギリギリで止まってくれて、床下浸水もなく、被害は少なくて済んだと思っていました。

PCを机から落とさないようにかばっていた、ちょうど真上の天井でかい岩が氷山の先っぽのように二枚目の天井板に引っかかりギリギリで止まっていました

落としてみるとこんなに大きいもので、重量も非常に重く、頭部を直撃されていたら、今の私はなかったでしょう。しかも二連打ですから、もし落下していたら助かる余地はなかったと思います。

それよりも、被災後のライフラインの回復まで,給水所に通ったり、買い物が不自由であったり、電車が復旧しないために子供たちは仙台まで通勤できないなど、いろいろなアクシデントの中、事業を復旧させることで気持ちがいっぱいでした。

仮設住宅がすぐ近くにできるということで、仮設住宅の方々を共同作業で、なにか事業を起こせないか、色々考えていた時期でもあります。被災後初めて行われる、4月10日の慈眼寺の護摩祈祷には、どうしても一番に整理札が欲しくて、自分に何が出来るのか、強い思いに突き動かされ、夜中には出立して明け方を慈眼寺の駐車場で過ごしました。

お身内の見つからない方々が祈願に来られたり、さぞ混むだろうと予想していたのですが、意外に少なく、慈眼寺の方々には大変な迷惑をおかけしてしまいました。4月のお山には、まだ雪がたくさん残っていました。護摩祈祷は午後1時からですから、午前8時ごろでも充分に良いお席が取れます^^;;

ところが、被害が少なくて済んだとはいうものの、実際は玄関の引き戸が、40センチほど空いたままの状況で3月の初頭から5月の初旬まで2ヶ月も寒さを我慢したり、壁が崩落して隙間風がすごかったりなど、実際の状況は家に暮らしていてもテント暮らしのような惨憺たる状況でした。

アトリエ・我が家、大規模半壊

市役所から査定があったときの4月には、一部破損ということでしたが、5月になっても大工さんが来てくれないことから不動産屋にお願いして、玄関や割れて落下し、床下からビュービュー風が吹き込んだりしているところを直してもらえるようにお願いしたら、

一部破損どころじゃない。 今度大きな地震が来たら、この家は潰れるよ!良くて大規模半壊か、もしくは全壊に近い状態だとのこと…。真っ青になったのは言うまでもありません。 余震がかなり頻繁に強く続いていた時期でもあったし、生きた心地もしませんでした。

転居先を探そうにも、宮城に移転するときにさえ広いフロアーがあって、仕事場に適した大きな家が借家に出ることが、そもそもあるわけないというくらい、借家探しに困った状況だったので、被災後はどんな新しい家だって、あれだけ揺れれば被災してない家などあるはずがないといわれ、

宮城での移転は無理と断念。東京、横浜、相模原…御殿場の方まで必死に血眼になって、不動産を探していました。 自宅兼工房であることが、私の仕事の習慣に適しているので、それが一番の条件で、なかなか見つからず、

困り果てたときに、今の物件、千葉県松戸市小金原の住宅が賃貸で出ているのを見つけて、物件を見に出かけようと日時を決めていたときに、意外やカタログハウスからのオファーがあったのでした。

大規模半壊、その後

大規模半壊の査定を受けてからは、毎日が命の危機と仕事の機材をつぶされるのではないかという恐怖とのせめぎあいを強い余震の中で暮らし、仮設住宅の人々との共同作業に関しては、すっぽりと頭から抜け落ちていたのも確かです。自分たちの命が惜しいですし、仕事の機材を失ったら生きていくことができないですから、それどころじゃないという感じでした。

でも、螢タログハウスにもしかしたら、被災者の方々と共同作業で仕事が出来るかもと思ったら、やるっきゃないでしょ!という強い信念が芽生えてきました。同時に慈眼寺に祈願したら、自分はどうでも良くなってしまっていても叶っちゃうんだ?という驚きもありました。

物件を確認した所、どうにか縮小すれば転居できそうだと判断し契約(松戸市小金原1-2-1)、今度は螢タログハウスとの契約が採用になるかならないか、水面下でたくさんの交渉がありました。せっかくのオファーですから、出来るものなら命がけの部分は多くあったとしても、自分がやりたいと望んでいたことでもあり、出来る方法を見つけることに専念することになりました。

スタッフを集めるやり方から、何名に何をさせるのか、いくらの工賃を支払えてどのくらいの納期で出来るのか…

あらゆる方向から螢タログハウスさまの助力やアドバイスを頂き、とにかくポスティングで説明会への参加者を募ってみようとなったのが、7月4日でした。

復興への道のり

宮城県岩沼市里の杜の仮設住宅の集会所を、一度だけ説明会で貸して頂けることになり、7月8日に、緊張の中、30名弱の人々に集まって頂き、ゆったりショールの実物をお見せし、シワ加工するまでの作業内容をご説明して、それぞれの参加したい部門別に、講習を致しました。

実際に講習をしてみて、 一回限りと限定された説明・講習会では、いかんともしがたいと判断。 客間とは言いながら半分物置になっていた12畳の部屋を徹底的に片付けて、作業台を作り、集まってもらって練習講習会を何度も重ねました。

仕事が始まってみれば、細かに色々なつっかえる所があったり、問題点があったり、一時期は朝から夕方まで各部門の人達が出たり入ったり、非常に忙しく、その中でもプリーツ工房としてお請けしているオーダーの仕事や雑貨類の制作も同時進行で進める必要があり、本当に頭を切り替えて集中することが求められ、忙しさに忙殺される日々が続きました。

この螢タログハウスさまから採用されたプリーツストールでは、キーパーソンになる人が最低でも1人、移転後の主軸になってくれる人がもう1人必要で、その部分の選考が鍵となる部分で、始まるまでうまくいくだろうかと心配の尽きないところで、かなり神経を使いました。

花の森フルールのオーナー様に、もしかして転居したときに困ったことが起きたら、相談役になってもらえないかと、不動産の社長の知人ということでご紹介いただき、OKして頂けたことは、宮城にIターンしただけの都会人である、よそ者の私の不安解消に、どれだけ救われた気持ちになったかわかりません。

地元の人達がよそ者の私を受け入れてくれるかもしれない、一緒に取り組んでくれる人がいる筈だという思いを後押ししてもらえたのです。 いくら感謝しても足りないくらいの温かさでした。

皆さまの協力を経て

ところが、上手くいくもので、キーパーソンになる人は、二ヶ月の赤ちゃんと年長さんのお兄ちゃんのお母さんでしたが、この人の動きが素晴らしい!質問も実に的を得ていて、一気に仕事の進み具合が変わりました。本当にありがたい事で、毎日のように通ってくれて、重たいミシンを何度も運んで具合を確かめてくれたり、赤ちゃんがいるとは思えないほどに大活躍してくれました。今でも中心人物です。

ストールの先は視点の集まる場所であるから、5ミリ〜7ミリで指先で折りたたんで欲しいという、凶悪な当店の要望に答えてくれる人が見つかるだろうか…。

この不安も大変強く、懸念のつきない問題点でしたが、仮設住宅の方が1人、津波で事業所が流されてしまった被災者の方が1人、体の具合が悪くて外に出歩けないので家で仕事を探しているという人が1人、きっちりと仕事を覚えてくれたのです。 当店が真似ができないほどに、丁寧に密に折りたたまれた出来上がりを見た時の感動は、今でも忘れることができません。 カタログにも指先だけの掲載ですが、折りたたんでいる様子が掲載されました。

この折りたたみのスタッフの一人が、転居してからは代理店としてプリーツ工房の岩沼店を運営してくれることになりました。代表者が決まったということです。花の森フルールのオーナー様にご迷惑をおかけする心配もなくなりました。

ストールを留める共布で作ったリングを縫ってもらう、ミシンの部隊の人にも恵まれて、何度か練習に来てくれて少量ずつ当店に持ってきては出来上がりを確かめ、またお願いするというやり方で、仮設住宅に住む日本男性と結婚した韓国人の方1名と岩沼市民4名でリングづくりに励みました。

当店はネットでの販路を中心に営業していたので、地元の人々と深く関わりを持つことはあまりなく、地域貢献の一助となればと始めたことが、逆にスタッフのみんなから強く応援してもらい、大きなパワーとなったのは言うまでもありません。

ストールを留めるリングについては、当店が作っていた方法では家庭用のミシンで縫うことが難しいので、作り方を根本的に変えて、家庭用でも素人の方でも作れるように工夫したり、その結果ゴムの強さが思った以上に強くなって、納品分が出来上がった頃になってゴムがきついことに気が付き、お客様に気持ちよく使っていただくためを考えた場合に、これでは役に立たないと判断。

作ったリングの全てを破棄することにして、一から作り直しをしてもらいました。考え用によっては、2倍の量を作ったわけなので、それだけエキスパートになってもらえたと考えればこれほど心強いものはありません。

また、折りたたみの部隊の人たちにも、ストールで出た残布を縫い合わせて、更に量を増やし、転居しても安心できる量を作ってもらうことに重点を置きました。

カタログハウス様、通販生活とのかかわり

螢タログハウスに、発注分を納品してから10月7日に転居するに至りましたが、「通販生活」の発行10月15日以降に追加生産が出ており、おかげさまで順調な販売状況です。

追加生産は、当然宮城のスタッフの手を借りて、生産に励みます。 2011年10月21日から、追加生産が始まりました。

当初の発注分を納品後、追加生産まで1ヶ月近くの時間的余裕があることから、残り生地などでヘアゴム(アームバンド)とシュシュを作り、間が開いて士気が下がらないようにすることにも留意しました。

素敵な出会いがFacebookでありました。 被災地の物資で足りないものに、ヘアーゴムがあるというのです。 シュシュもそうですが、ゴムを生地で包んであげると、とっても色が綺麗ですし髪を痛めず、ゴムも長持ちするんですね。 プリーツプロジェクトのミシン部隊の人の仕事が終わってきたので、可愛いヘアーゴムづくりに専念してもらおうと思ってます。 たくさんの色や組み合わせなどから、自由に選べる楽しさをお届けできて、被災地の皆さんの心の慰めに一役でも担うことができたら、こんな喜びはございません。

本当に不思議で、どうしたら良いだろうかと考えていると、大きな支援のためのお仕事が転がり込んでくれたり、こうして活動をしていらっしゃる方との出会いが発見できたり、嬉しいことこの上もない喜びです。東日本大震災被災者支援の会でご活動の、高田華紋さまのブログ で足りない物資のご紹介をされています もしも皆さんのお手元に余っているものがありましたら、支援の輪を大きくつなげてくださったら嬉しいです。

当店でも精一杯、応援させて頂きます! ゴムを作って喜んでもらえたらいいなぁと願っていたので、ご提供先が見つかりとても嬉しく、スタッフも張り切って作っています。

11月5日に東松島の仮設住宅の慰安にご提供する予定になっています。

今後の東北支援の取り組みは、スカーフ、コサージュ、コサージュスカーフなどの雑貨を作れるように指導してきました。

コサージュもただ生地だけではなく、ビーズなどで豪華に上品なアレンジを工夫してもらえるようになりました

コサージュスカーフもこのように雫がついたような綺麗さで、飾ってくれています。 担当の”eme”のほうで、コサージュ、コサージュスカーフの製作からビーズの選定など行なっております。